オタクが世界を救うなんていうと、バカ言ってんじゃないよ、とか頭悪いんじゃないの?とか言われそうだが、意外と間違っていないと僕は考える。
バカにする人はバカにする前にまずは考えてもらいたいと思う。
なぜオタクが世界を救えるのか?
世界を救う要素とは何かをまず考えよう
世界を救う要素
1:経済成長できる
2:受け入れやすい(親和性)の高いデザイン
3:心に訴えかけるものがある、それが人々の行動に関係してくる
4:生きやすい社会になる
他にもいろいろあるとは思うが、これらの要素はオタクに大きく関係していると思う。
どこが関係しているのか?
1:日本は人口減少していく
人口が減少していけば、仕事を一人でなんでもかんでもこなすのはとても難しくなると思う。
少ない人口で経済、会社を動かすには効率的な労働を意識しなければならなくなる。
各個人それぞれの専門性を活かした、今以上に作業を分担された分業制が進む。
オタクというのは何もアニメやゲームだけのことではない。広い意味で一つのことに特化した人とも言えると思う。専門的な知識は分業制が進む社会では見直されるときが来ると思う。
そしてこの分業制が進むとワークライフバランスが見直されると思われる。
自分の担当する仕事が終われば、さっさと退社ということは、今以上に起こりえることだろう。それは生きやすい社会でもある。
2:アニメ、マンガのメッセージ性は予想以上に強い
ここでは詳しいデータは示さないが、聞いたことがあるだろう文字より絵のほうが相手にその意味は伝わりやすいというのを。
日本でマンガやアニメ市場が大きいのは、それだけ文字より絵からの情報が分かりやすく、受け入れやすいということも関連していだろう。またアメリカのドキュメント番組を見たときに、アニメではないがストップモーションで作られたその世界観はとても訴えるものを強く感じた。
これはアニメでもマンガでも同じだろう。
さらに子供の頃から親しんだアニメ、マンガのような絵であればもっと訴える力が強くなると思う。これは極端な話が戦争も止めてしまう力にもなる。社会的なムーブメントを起こすほどの力があるのだ。このマンガやアニメを通して世界の人々と共通の意識を持つことができる。
これは同じマンガ、アニメを楽しんでいる人を敵とは見ずらい。つまり自己防衛になるのだ。
そして、物には良いデザインと悪いデザインがある。
良いデザインは生活の良い潤滑油になり、生活を潤してくれるだろう。親しんだデザイン、好みのイラストなどオタクの発想、技術がなければ作れないだろう。
現にゆるキャラも経済効果を目的に日本ではたくさん作られている。日本のマンガ、アニメに親しんでいないとあのようなキャラは生まれないだろう。
3:本物のゲームオタクは予想以上に頭が良い。
ゲームの仕方には良い仕方と悪い仕方があると思う。
悪い仕方では、色んなブログでもニュースでも言われているが言語的な部分など悪い影響があるとも言われている。
僕は僕なりに良いゲームの仕方があると考える。
良いゲームの仕方とは、どうすれば目的を達成できるのかを考えてゲームをすることである。
それは将棋で強い人が頭がいいと言われるのと同じで、どうすれば勝てるのかを頭をフルに使って考えるのである。その点、eスポーツとして海外ではゲームを真剣にしているプレーヤーが日本より多くいると思う。彼らの頭の使い方は絶対的に適当にゲームしている人とは違うと思う。
この目標に向けて頭を使うことに特化することは、ゲームオタクは数学者が見つけれない方程式や解を見つけることができる可能性さえあるといえると思う。例えば、新しい素数を見つけるゲームが開発されたとする。そのゲームをゲームオタクがするとコンピューターが何年も見つけられない希少な素数を早く見つけることが可能かもしれない。
結論
上記の理由からオタクは今の僕らの創造を超えて世界を救うのである。
オタクを差別するような発言はやめてオタクを見直し社会的なバックアップをするべきだと考える。アニメ、マンガへ莫大な補助金をだし、アートとして勉強するひとをサポートや、ゲームオタクをただ批判するのではなく、まず親や社会がゲームの仕方、接し方を勉強してほしい。ゲームで子供に悪い影響を与えているとすれば、それば親や社会がまずはどうすればいいか考えなければならない。子供のせいではないのである。
生きる上でアニメ、マンガ、ゲームが無くてはならないものと日本で意識されれば、オタクの存在価値は高まるのである。
今のオタクの印象は昔より良くなっているとはいうものの、まだまだ日本では底辺な位置にオタクのイメージがあるのではないだろうか。しかし沈んだ太陽はまた昇るように、オタクのイメージは良い印象に将来はなると予想する。
だからオタクは世界を救う!
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