「だったら結婚しなくていい」について思ったこと。

「だったら結婚しなくていい」というのが話題になっている。
この発言をなんでもかんでも批判する人が多いのかもしれないが、僕は夫婦別姓が嫌だったら結婚しなくてもいいかどうかについてどちらが正しいのか判断するのが難しいと思っている。それなのに夫婦別姓を認めないのはおかしいという風潮があるのは不思議なのだ。

多様性を除いてはいけないと思う人はグローバルな世界に日本がなりつつあるのでたくさんいる。僕は多様性という考え方が不思議に思う。古いものを変えていこうとするのが多様性というわけではないのにまるで古い考えを支持すると「多様性がない」、今の時代に合わないという人がたくさんいるのだ。

それこそ僕は多様性に欠けた考えだと思う。多様性は古いものも含めて考えないと一方的な多様性の考えの押し付けになると思うからだ。
今まで世界中に行われている多様性は一方的な考えの押し付けだった部分があるからアメリカを見てもヨーローッパを見ても多様性の認めすぎで問題が起きていると思う。

夫婦別姓にしないことのメリットも考えたほうがいいのではないかと思うんだけど、夫婦別姓にしないことは同じチームという意識が生まれ家族としてもまとまれると思う。
日本の良さはまとまれるということだと思う。
もし夫婦別姓をすすめると日本のまとまりは徐々に薄まっていくんじゃないかとちょっと思えてくる。
日本は宗教がありながらも多くの人がそこまで宗教をしている意識を持っていない。なのにまとまれるのは教育の影響もあるが細かいところでもまとまる意識付けをする環境があるんじゃないかと思うのだ。その一つが夫婦別姓ではないということだ。

なんでもかんでも多様性というのは後々とりかえしのつかないことになる。世界を見るとそれがわかると思うが、テロも起きて殺人も増加してまとまれない社会では争いがたくさん起きている。

アメリカの多様性がすすんだ国に起こっているのは祖先、先祖回帰の考え方なのだ。別姓が認められていてもあえて同姓を選ぶ人がいるのは先祖とのつながりを重要だと思っているからだ。今日本はアメリカと比べて先祖とのつながりがある国である。そんな国なのになんでもかんでも多様性を認めることは本当にいいことなのかというのを考える必要があんじゃないかと僕は思う。
多くの人は日本の良さを知らない、気づかないのだと思う。日本の良さを薄っぺらい他国の真似ごとをする多様性でなくてしまうのは、将来の日本の魅力を失い、観光国としても魅力を下げ、日本国民としての魅力も下げていくんじゃないかとちょっと思えてくる。

なんで日本に魅力があるのかというと他国の真似をしていなかったからだと思う。細かなところでは真似て取り込んではいるものの日本の文化は他国と明らかに違うから出来上がってきたものだし真似しないという部分は魅力を作るうえで重要だと思うのだ。
日本は鎖国を長くしてきた国だけどそれが結果的に良かった部分もある。

家族感というのはどの国でも重要だ思う。各国それぞれの家族感があり、フィリピンでは子供が働けるようなれば日本人以上に親を支えていく人が多いと思う。働きたくない人、働けない人だっているフィリピンで稼げる人がそれらを含めてめんどうを見るのだ。そのチームワークは行政がサポートしてくれないからというのもあるかもしれないがフィリピンの家族感の形だと思う。
アメリカでは子供は独立するように強く思われると思うので子供が教育ローンを抱えて大学に行き自分でなんとかしていかないといけないと思う人が多いしそれを望む親も多いんじゃないかと思う。でもそれが今問題になっているのがアメリカだ。
日本はアメリカのようなきつい分断を生むやすくなる自立の考えを真似なくていいと思うしフィリピンのように働かない人が多くなるのを認めるのもやりすぎだとは思う真似なくてはいいとは思うけど。

どこの国も正解がない中でどこの国も参考にはできるだろうけど真似はできない。なぜなら家族感も文化も違うからだ。日本の夫婦別姓問題は伝統と多様性について考えて答えを出さないと後悔することになるかもしれない。そもそも今世界の動きは多様性が失敗して多様性から離れつつあるのになんで多様性ばかり受け入れようとするのか。

「夫婦別姓が嫌なら結婚しなくていい」を悪くいいたいのは分かるけど、その発言も意見として受け入れる心の広さも必要なんじゃないかと思う。どんな意見だって受け入れてそこから答えをださないと良い答えにならないと思うし、強いシステム、国にならないんじゃないかと思う。犯罪の多いアメリカのすごいと思うところはどんな意見もあるということと外国人が多くてまとまりがないけど外国人がアメリカ人の気づけないことを言うことがあるので最終的にまとまる考えは薄っぺらい考えではないんじゃないかと思うのだ。なんでも意見を取り入れるからアメリカの変化は銃問題とか格差問題を除いてものすごい早いけど、その早さは本当に多様な意見があるから決断に躊躇がないしそれがアメリカの強さだと思う。

「夫婦別姓が嫌なら結婚しなくていい」なんていう意見さえ批判しかできない社会は本当に外国人が多くなったグローバル社会に対応できないんじゃないかと思う。外国人が多くなったら「夫婦別姓が嫌なら結婚しなくていい」どころの発言じゃないはずだからである。日本人は伝統を捨ててきているのに外国人達は彼らの伝統を守ろうとするかもしれない。宗教、結婚感、生き方など外国人が行きやすい日本にしたいと思うだろう。そうなったらいったい日本ってなんなんだろうってみんな思うかもしれない。

それと夫婦同姓が嫌だから結婚できないというのなら結婚しなくても良い制度にすればいいんじゃないかと思う。それをふまえて「だったら結婚しなくていい」だ。
結婚しなてくも事実婚でも今まで通り結婚している人と同じような法律が適用されたりサービスを受けられるようにすればいいのではないかと思うのだ。
伝統に固執するなら結婚して同姓にするという話になるが生活スタイルが多様化している現在はなかなかみんなが昔通りのやり方をしたいわけではないだろう。法整備の遅れがれが分断を生んでしまうようだったら現在のスタイルに合わせた結婚の仕方があっていいんじゃないかと思う。
その上で同姓か別姓かの選択制にすればアメリカのように祖先回帰の流れで同姓を選びだすようにもなるのかもしれない。
ちなみに僕が結婚して同姓にしたいかというとどっちでもいい。法律上は同姓にしなくちゃいけなくても好きなほうを名のるかもしれない。名前をころころ変えると混乱するかもしれないけど僕は好きほうの名前でいいたいから混乱に慣れてもらわないと困るかもしれない。ジョーダンでも最低でも友達には今日は別の名前、明日はこの名前でいいたい 笑
どっちも僕の名前だから。そうなるとアメリカみたいに下の名前で呼ぶようになるのかな?

結果的にヤジによって夫婦別姓について考えるきっかけになる部分もあるんだから悪くなかったんじゃないのかな?って思うわけ。なんでも悪いって批判するのは日本に多いけどそれは言いすぎなんじゃないかなって思った。

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