日本は生きづらいという人がいたので、どんなことが生きづらいのか考えみた。
仕事観から考えると
日本人のなかには苦しい仕事の成果が美しいと思っている人いると思う。
例えば、営業は足を使ってまわるんだとか、夜遅くまで働くのが美学とか。
苦しいことを好むのが今の日本人の感覚だと思われる。
また、年をとると就職も難しくなるときく。とくに40歳を超えると本当に難しいらしい。
転職、退職をする人した人にはなかなか生きていくのが難しいのかもしれない。
また仕事をライフワークにしている人は多いと思う。
仕事ばかりで、自分の好きなことさえもてれない、もっていない人は意外と多いのではないだろうか?それだと人生を楽しむという生き方ではないと思うので、生きづらいといえるのかもしれない。
ビジネスマンはビジネスマンとしての行動、発言をするようしなければいけない、子供のようなことをするのは恥。という考えもあるだろう。子供の心を持つ人には生きづらい社会だと言える。誰かが、いい大人は子供の心を忘れないとか言っていたような言っていないような。
でも不思議なのが、子供では生きづらい社会だとすると子供の心をもつ大人は生きづらいのではないだろうか?矛盾を感じる。
それに矛盾はたくさん見つけられる。例えば、始業時刻は守るのに終業時刻は守らないとか、
大人になってもアニメを見る子供心は忘れないとか、礼儀正しいけど一度仲間になると人格否定みたいことも言うとか、まるで人はある一定のレベルにないと人でないかのごとく否定するとか。
矛盾に耐えられない人は日本では仕事がしづらいかもしれないので、生きづらいのかもしれない。
生活の中から考えて見る
日本は他国に比べてものすごく、ものすごーーーーく礼儀正しいと思う。もしかしたら世界で一番礼儀に厳しいのかもしれない。
礼儀正しさと厳しさやとっつきにくさは紙一重だと思うし、フレンドリーと失礼、カジュアルなども紙一重だろう。礼儀さが目立つ日本では、電車内ではものすごく、ものすごーーーーく静か。怖いくらい静かで、しかも同じような色の服やスーツを着ている人が多い。目立つと恥ずかしいや相手に迷惑をかけてはいけないという考えからだと思うが、どこかパッとしない。そして知らない人同士では会話になりづらいし、学校でもルールを守ることを特に教えられると思うが、礼儀正しさはときどきみんな一致団結してやる集団行動に見えて少し怖いときもある。
そんななか集団行動を乱す人がいるとそれは嫌われたりのけ者にされる原因になると思う。
だとするとそれは礼儀ただしくない人には生きづらいと言える。
日本はある種の村社会なのかもしれない。
村社会では新しいことはなかなか出来ないし、人間関係がめんどくさいと思われる。
そう考えると、いいかげんで好きなことをしたい人には生きづらいのかもしれない。
また、広告などがものすごく多いように思う。それらの宣伝広告がテレビなどを通して視聴者にものすごく刷り込みをしているように感じる。たとえば、英語は完璧に出来ないといけないんだとか、今年の流行の服はこれ!流行り以外はダサい人とか。
外を歩いて同じファッションの人が多いのは日本の特徴だと思う。
宣伝にのって視聴者が視聴者をいいか悪いか判断するから、そこは少し太刀が悪い。
みんなと一緒のことが出来ない人には生きづらいかもしれない。
個人的に思うのは日本はおいしい食べ物が多いし、礼儀正しいから、お金があってお客になるならとっても生きやすいと思う。
でもお金が無くて自己中心的な人には生きづらいだろう。
僕の理想は日本には長期休暇で戻って働くのは日本じゃないほうが生きやすいと思うんだけどどうだろう?
日本のこれまでの経済成長は今までものすごく働いてきた人たちがいたからだけど、今その働きを続けても大きな成長や大きな昇給というものは見えづらい。
さらに現在、経済成長がものすごいインドやフィリピンなどで生活している人の話を聞くと(クラスメイト)、日本より生活がしやすいようにも聞こえてくる。今はまだ日本より多くの人の給料は低いが将来的には日本に追いつくかもしれない。例えるなら中国。中国は昔ものすごく給料が低く今でも田舎は低いと思うが、都市部で仕事のスキルのある人は日本と同じかそれ以上の給料と聞く。物価が日本より安いのに給料が高いとなると生活はしやすくなるだろう。安全ではないものは多そうだし、貧富の格差はものすごいだろうからそもそも平均収入なんてないようもの。だからスキルがある人は日本より給料高いしない人はもう底辺だと思う。まぁそのように現在急成長している国に肩を並べられるときが来るかもしれない。
日本で働く日本人より仕事をしていないのに給料が上がっていき、日本より給料が良い世界を想像できるだろうか?
仕事ばっかりしたくないという人には日本は今のところたぶん生きづらいだろう。