アメリカ人のチームワークはあまりないと思うこと

学校でグループの宿題があったときのことだ、みんなで話し合って宿題の作品作り上げなけらばならなかった。日本の小学生がやるような自由研究でダンボールを使った迷路なゲームを作るような宿題を一週間で作る宿題。過去の歴史上に存在する手作りゲームを通して歴史を勉強し、古代の人が手作りゲーム作ったように僕らも何かを作ってみるという宿題。何を作るかは先生が各グループに与えてあとは自由に考えて作る。アメリカ人の学生は自分が何をするかテキトウに決めて話が進んだけど僕は何をすべきかを悩んでいた。そもそも何を作るかという簡単な案はあったけど具体的にどう作るか何が必要がまだ不明だった。案を考えてまとめている学生が週の途中でアイデアを変えてきて必要なものが変わったりしてなかなかまとまれなかった。それでもアメリカの学生はアイデアを変えられても自分がやりたいことを貫いてそのアイデアに自分のやりたいことを取り込むように話をしていた。最終的な結果が良くなるとか悪くなるとか考えずに自分のやるべき、やりたいことを貫いていたのだ。そんな調子だから一部の学生に多くの作業が必要になり一部の学生ではちょっとだけの作業で終わりということにもなった。僕もやることがほとんどなかったのでこれはグループの宿題としてはおかしいと思い、これは宿題を終わらすことだけでなくチームワークを見せないといけない宿題なんだと思う。やることがほとんどない人とやることが多い人がいるのはチームワークとしてめちゃくちゃだと思うから何か方法はない?っと言うとたくさんやることをもっていた人が仕事をわけることになった。というよりたくさん仕事を持っている人がわけようとしないと誰も何もいわない様子だった。僕がそのアイデアいらなくない?って感じで話したら自分のやることがなくなるからかやりたいことがなくなるからか、そのアイデアを必要なことを言って来たり自分の主張するのはやっぱりアメリカ人だなぁと思った。作業量が偏って多い学生は芸術担当で作るのがうまいからという理由だけどそんなことみんな出来るレベルだったから作業わければいいのに担当を明確化したがるところがもアメリカっぽい。

結局最終的にできたものを見てベースとなるアイデアに失敗があってアイデアをまとめていた人の口が達者で完璧でいうことないぐらいだったのにそうでもなかった。みんな自分のことだけして全体としての作品の完成度まで考えられなかったのだ。だから僕は最初からアメリカ人とグループプロジェクトはしたくないなぁと思っていたけどしょうがない。もしリーダーがいたのならおそらくアメリカ人はまとまれたと思うがリーダーもいない自分のやることだけしかやらないとなるとちぐはぐな結果になる。作業の進歩状況をみんな全く気にしないから最後まで出来るのか僕は不安でストレスを抱えていた。しかもメールで聞いても返事は遅いし作業を始める時間が遅かったり人それぞれ生活スタイルが違っていて気にすることでストレスが増しそうだった。

面白かったのがほとんどのグループが手作りでダンボールの硬い紙のボードを作ってパズルやら迷路やらボードゲームを作ってきたのに一つのグループが体を使ったものだった。適当に丸めた紙を投げ合って鬼ごっこみたないことをするだけ。それどこがクリエイティブでどこが考えたゲーム要素があるのかわからないものだった。それなのにクラスメイトの多くは盛り上がってクラス内で紙をなげあって本気で楽しんでいた。体を使うことになると夢中になる人が多いと思っていたけどやっぱり夢中になる人が多いみたい。みんなの出来ぐあいをチェックするためクラスでみんなが作ったもので遊んだんだけどまさか投げ合うとは思わなかった。今まで何の勉強してきたのか謎の行動だと思った。古代の人が考えて作り上げたゲームは今でも楽しめるものがある。古代の人の考え方と僕らの考え方に共通点があり国によりゲームの質も違い、それらを踏まえて僕らが作ってみるとどうなるかというのが宿題なのだ。なのに紙のボールの投げ合いを一週間で考えて作ってきたというのだ。アメリカ人の考えていることはさっぱりわからない 笑
先生がつれてきていた愛犬は紙を投げあう学生に怒りを感じて吠えまくるし、紙が僕の頭に当たるしめちゃくちゃだった。それでも先生は宿題を評価はしたけどちょっと戸惑っていたのがわかった。先生ももうちょっと何をすべてきかせ説明があればよかったんだけど、まさか紙ボールを投げあうだけとは思わなかっただろう 笑

作った作品を実際に遊んでみた?といわれて遊んでいない人がほとんどで遊んだという人はその彼女と少しだけ遊んだ人だった。ちなみにその人はいつもクラスに遅れてきてあまりやる気がないのでほとんどアイデアがうまく作用しているのかテストしていないだろう。

この宿題は真面目にやればおもしろいはずなのにまとまらないし真面目じゃない人もいるからがっかりだった。真面目にやるとどうなるかというと、各国にある歴史上の古代のゲームは各国の思想が反映されていので僕らが作ったものにも思想が反映することができそれを説明できるはずなのだ。現代なりの考えを示して古代になくて物が溢れる現代で色んな素材を使った面白いものができるはずだったのだ。それらを考えることに意味があるのだ。

しかも僕のグループのリーダーではないけど色々しゃべる人が先生にAさんがとても頑張っていてAさんがいなかったら完成しなかったとAさんをものすごく押していたけど、他のメンバーも時間を使って買い物にいったり僕だって買い物にもいってさらに7時間ぐらい作業していた。それなりにみんなやっていたのだからAさんだけ持ち上げるのはおかしいと思うのに他のメンバーは誰も気にしない。AさんとAさんを持ち上げていた人は中がいいのだ。Aさんをプッシュしていた人もAさんが作業を抱えすぎていることに何も疑問を感じていなかった。ちなみにAさんは作業が好きで睡眠時間1時間しかその日はとらなかったらしい。本人が好きなのはいいのだけどチームワークが大切なのだからもうちょっと考えようよって思った。

日本では当たり前だったことなのにアメリカでは自分のことしか考えない人が多いのだなと改めて思った。それが分かるのもバーガー店でもあった。セットメニューを頼んでいるのにセットメニューの名前をただの単品バーガーだと思っている人がいて教えてあげたのに再度店に言って注文してもまだわかっていない人が数名。同じ店の別の場所に行けばきちんとしているのに中には間違いを間違いと思っていない自分が正しいと思っている人がいてその傾向は日本より多いと感じる。

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