ホラー映画

ホラー映画見ていると、怖い映画とそれほどでもないものがある。

よくアメリカと日本のホラー映画はどっちが怖い?と記事や動画があるが僕は日本の映画のほうが怖い。でもアメリカの死霊のはらわたのリメイク版も怖かった。全般的にアメリカのホラー映画は怖くないと思う。ゾンビものは怖いというより、ゲームっぽく見えるし、グロテスクな物が多いように感じる。さらに大きな音や突然出て驚かせる怖さはアメリカ映画に多いかもしれない。お化け屋敷みたい。

フィリピンの友達がフィリピンのホラー映画を教えてくれた。これが全く怖くない。友達によると、フィリピンのホラー映画はコメディで怖くないらしい。その動画がこれ↓

Ispiritista Trailer (2006)

ホラー映画は見たいけど、怖すぎるのは見れないという人はフィリピンホラー映画がいいかもしれない。タガログ語だけど。たまに英語でしゃべって英語の勉強になるかも。

アメリカやフィリピンは宗教の影響もあり霊的なものを信じていると思う。実際僕の海外の友達に信じている人はいる。たからエクソシストは僕にとって怖くなくても彼らにとってはものすごく怖いものかもしれない。なぜならエクソシストのようなことは実際にあったと信じている人もいるから身近なこととして見ているから怖いのだと思う。

いろいろフィリピンホラー映画を見てみたけど、僕の感覚だとキョンシーのノリだ。

昔僕が小さい頃、キョンシーを初めて見たときはとにかく怖かった。でも今全く怖くない。

たぶん今の僕にとって、子供のときに怖いと思った映画はリアリティに欠けるからだと思う。

映像になってしまったら怖さが欠ける映画も多いと思う。

例えば黒い家。

ホラーというよりミステリーに近いかもしれないが小説は怖かった。映像になると小説を読んで想像していたのと違って残念観があり小説より内容の重みを感じなかった。

映画は製作者の考えいやや社会が反映されているというのは理解できると思う。

アメリカの映画館だとホラー映画を見るときも観客は静かではない。みんな好き勝手に話したり叫んだり・・・・。日本だとまったく逆で静かに見ていると思う。この心理状況が日本ホラー映画をさらに怖がらせているものだと思う。つまりアメリカ人が日本のホラー映画を見たときの怖さと日本人が見たときの怖さは違う。日本のホラーの映像がうまく作られているから、ジワジワ迫ってくる怖さもあるがそれよりヴィジュアル的に怖いというものを感じると思う。

そりゃ叫んだり、話しながら見てたら怖さは半減するのはわかる。でも日本の静かに声をあまり出さずにホラー映画を見る姿勢は、東北大震災で秩序を崩さなかった日本人として世界で驚かれたものに現れているように見える。

これを問題にする人はあまりいないと思う。僕は災害の状況で秩序があることは素晴らしいことだと思う。ものすごい自己犠牲、責任感を感じる。素晴らしい!でも、これらのことを日本人の特性とまとめるのは簡単だ。僕はそれは日本人の特性と簡単にまとめては考えていない。極度のストレスにおかれる状況で静かにし続けることと、精神病患者が増え続けること、自殺が多いことの関連があるように見えて懸念する。災害は極度のストレスにおかれる状況だと考えられる。我慢してないとしたら感情を忘れた人ぐらいだろう。精神的な問題が増えている原因に我慢のストレスを我慢する度合いが他国と違うとしたら、本当はもっと我慢したくない人は多いとも考えられる。つまり秩序を保ったことは日本人のアイディンティティと片付けるのは間違いだとも考えられる。もっと自分の気持ちを出すことも必要なんじゃないかと思ってしまう。もしかしたら、いつか日本ホラー映画から理不尽な恐怖心を感じないホラー映画が出るときが、日本の社会が変わったときかもしれない。

参考にした本とビデオ

kindle版黒い家

 

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