絶望と希望の狭間の人が多すぎる件

30代に突入すると絶望を感じる人が多いらしい。
絶望する理由は30代になって思ったようにうまく人生がいかないと思う人が多くなるからだ。
仕事をしてなければ就職先があまりなかったり、仕事をしてもなかなか上にいけない将来が見えない、結婚してなければこれから結婚できるかの不安さえあるらしい。

周りにいる20代の友達は遊んでばかりいて将来にそこまで不安を感じてなさげだ。

お金の問題が大きく絡んでいると思うが、お金がなければオシャレもできない、車の維持もできない何も出来ない。20代で学生だとまだ親がサポートしてくれてたりお金を気にしなくていいから全く気にしない人はいる。

これは問題だなぁと思った。そういえば歳が離れたいとこはもうすぐ40になるけど結婚を諦めている女だ。彼女はお金もあるし頭もいいし一人で生活もできるし綺麗な人なんだけど男の理想がもっと年下の女の子がいいというのが多いらしい。
残念としかいようがない。

男も女も絶望する30代なんだったらもっと生き方変えたほうがいいんじゃないかなって思う。
他人と競い合うことに疲れるこの社会が絶望させるんだったら競うのやめればいい。親に経済的に頼れる人は30代でもそこまで絶望を感じないだろうけど、経済的に頼れない人は30代じゃなくても20代でも絶望を感じている人は意外と多いと思うけど。
お金持ちがお金持ちを自慢するような生活をしないようにするしかない。高級車に乗って高い食事していい家に住んでとか。それはそれでいい。でも生活コストを下げた生き方をしても生活水準を下げずに生きることはできる。

聞いた話だと、お茶の利休が作ったわびさびは人生で必要ないものを極限まで取り除く考えで、それが価値の高い生き方というものだ。普通はいい家いい乗り物がいいと思うだろう。でも質素の中にも美しいし生き方があるということだ。これは日本が作ってきた文化でもある。俳句でさえ極限までいらない言葉を取り除き短い言葉で世界を作るという頭のいいアートなわけだ。

無駄にお金お金っていう人生を強要されているのが現代社会だとして、無駄を取り除く生き方をこれからの社会も求められていると思う。
需要と供給は一致していないと働けない人もいるのは当たり前で、無駄にみんな少ないパイをとりあって生きるのはわびさびとは言えない。

わびさびがこれからお金に困る人たちを助ける考えなんじゃないかと思う。
歴史は繰り返されるというけど本当にまた利休のような考えが広まるかもしれないと思うのは僕はおもしろい。

田舎にはタダ同然の家だって貸してもらえるところはあるし、ものすごく安かったりする。もちろん家はボロイから風邪が入ってきたり虫が入ってきたりするだろう。でもそれを一つ一つ解決すればいいことだ。自然と生きるというのは重要なんだ。なんでもアイデアだよ。家が古くて床が汚いなら綺麗にするか、最悪は部屋の中ようの靴で生活したっていいと思う。電気もガスも水道もある。周りにおいしいレストランがないでもおいしい食事を作れるとか。今なんてネットショップでも食品さえ買えるから困ったら買えばいいし、近所のおばあちゃんたちと仲良かったら食べ物くれたりマジするでしょ。

田舎の中には全く就職しないで個人教室しながら小銭を稼いだりして食べ物を栽培したりして生活している人は本当にいる。でもそんな人はたぶん将来に注目される人材になるだろうと僕は思う。

無駄に競争しない、生活コストを下げること生活をするのが解決策だと思うよ。
料理なんてできない、野菜の栽培なんてできない、虫も嫌い個人教室なんてできない、釣りもできない魚も解体できないって人は、誰かに助けてもらう生き方しかないと思う。誰かに助けてもらう生き方は世界ではよくある話。
アメリカでもお金のない人にお金をあげる習慣が多いしフィリピンだってお金がなくて困っている人を助ける人は多いと聞いている。これは宗教のキリストの影響で困った人を助けるという考えがキリスト教にあるからだ。

今みたいにみんな働かなくてはいけないなんていうのはナンセンスだと思う。

それにヒモの何が悪いの?男も女もヒモでもいいでしょ。それか海外で生活してみるといいかも。発展途上国ならトイレが受け入れられないタイプだったりするかもしれないけど、生活コストは安いし日本では出来ないチャレンジが出来て将来性も高いと思う。英語勉強したり、別の言語勉強したり、料理が得意なら海外で安く飲食店を出せるかもしれない。誰でもできるカレーとかでも売れるだろうし。
普通に働けない人には普通に働かない生き方がこれから求められるんだと思う。

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