ファッション誌を見て思ったこと7 チャイボーグってなんか変

SCawaiiに中国メイク、チャイボーグについて特集があった。チャイボーグの何がいいのか分からなくてチャボーグとはいったい何なのか?を考えていた内容を記事にしたものだ。

特集にあったチャイボーグ例は下記のものである。

個人的には全く可愛くない、むしろテキトウ感がありリスペクトに欠ける。しかし何がテキトウ感を感じリスペクトに欠けるのかがはっきりしなくてもやもやしていた。

おそらく一つの理由は中国映画を見ると似たメイクが出てくる。その意味はチャイボーグは中国の古いメイクがベースにあり、古い感性のせいで現代的でなく違和感があるのだと思う。現代を否定した中国伝統に回帰したようなメイクは中国共産党が毛沢東を賞賛しているようで僕は怖い。中国を好きな人を増やしていこうとする中国の戦略はよいことでもあるけど怖いのは中国は今でも嘘を言っているのにメイクを通して中国を簡単に信じてしまう人が増えるんじゃないかと思えること。快く多様性を受け入れたい気持ちはあるのに中国からの多様性には共生ではなく中国有利、中国主導にしたいという裏があることが多く簡単に快く受け入れられない気持ちになってしまう。この先にある未来は中国が発信するメイク以外はかわいいと思えない人が増えて多様性なんて消える社会になるんじゃないかと思えてしまう。そうなったら男女ともに喜べるものにはならないだろう。僕は苦手だなぁ 笑

もちろん中国のメイクは映画を見ると綺麗に見えるものもあるが、無表情のものが多く冷たく感じ心が無いようである。リスペクトに欠けると感じたのが心が感じない表情から人への優しさや信頼などもないかのように見えてしまうからだと思う。実際に中国では人と信用しない人が多いと思うのでその事実もあってさらに冷たく感じる。

中国映画にはあまり思想が含まれておらずエンターテイメントとし見ることができるが感動も薄く深みがなく考えなくても楽しめるものではある。しかしそこにカタルシスを感じない人は多くいるはずなのだ。
薄っぺらい勇気や愛を言われても心に響かず「こんなヌルヌルの肯定されてたまるか」という気分になる。

中国映画とチャイボーグからは僕の気持ちの何か満たされない気持ちを感じた。そこに愛を感じないのである。

また中国人は学生の頃はほとんど化粧はできないと思うのでメイクのスキルは上達しないと思う。恋愛をスキップして結婚したい中国人が多いと思うのでメイクは異性に向けてやりはじめる人も多いと予想する。異性に向けてだからか分かりやすいセクシーな赤い色を使うのが浅はかさを感じるのだ。そのためチャイボーグメイクにどこかテキトウ感を感じたのは、その浅はかにも見えるメイクへの姿勢と目的の為になら冷酷にもなれそうな冷たい印象を与える細やかさを気にしないメイクだったからだと思う。中国人みんなが心が無い人ではなく優しい人もいるが、お金しか考えていない人はものすごく多いと思う。そんな文化の土台があるところからくるメイクの血色がないように見える人形のようなチャイボーグに中国人みたいな心の無い人になるんじゃないかと思って怖い。センスと思想が日本人っぽくないのだ。

LOVERS

則天武后

ラストエンペラー

さらば、わが愛/覇王別姫 (ゲイの話)

赤を嫌っているわけではない。例えば安室奈美恵と台湾のジョリン・ツァイがコラボした
「I’m Not Yours Feat.」は赤がたくさん使われていてかっこいいと思う。しかしミュージックビデオの内容は男をハニートラップで殺す内容なの赤色に年齢関係なく誘惑する強い女性のイメージはあり中国にも伝統的にそのような女性を今でもかっこいいと思っている部分はあるのだと思う。この曲は嫌いじゃないけどMVが見せるようにどうしても中国の赤色には細い女性が自信たっぷりに男を騙すイメージを僕に植え付けてくる。逆に男を殺すぐらいだから男に媚びない強い女性のイメージもあるし、曲の歌詞も「あなたの女になりたくない」と歌うから媚びたように見えて男を騙す内容なのだ。こういうのは人を信じられない社会の中国が好きそうだと思った。中国の美意識全開は世界観は嫌いじゃないけどちょっと古臭くて怖くてちょっと避けたい。

蔡依林 Jolin Tsai – I'm Not Yours Feat. 安室奈美惠 NAMIE AMURO (華納official 高畫質HD官方完整版MV)

赤いリップは似合っている人にはセクシーで良いと思うが似合わない人には口元が赤く目立ってしまいあまり可愛くないんじゃないかと思う。口元赤くて綺麗な人はもともと口元が綺麗で歯並びも綺麗じゃないと難しいと思う。これは綺麗な女性としわくちゃのおばあさんの絵を描くとわかると思うが、しわくちゃのおばあさんは下手に描いても誤魔化してそれなりに魅力的になるのに対して美人はちょっと口元、目、眉毛、歯が狂うともう美人じゃなくなる。それは目立つ部分がハッキリしているから誤魔化せないのだ。チャイボーグは口に焦点があるのでおそらくリップの付け方、濃さなどのバランスによっては簡単に不細工になると思う。けっこう難しくて誰でも似合うものではないと思う。だからあまり笑った画像がないんだと思う。メイクはコンプレックスを隠すしたり自分を魅力的に見せるものとして使えばいいのにチャイボーグの口元の欠点を目立たせてるから逆効果じじゃないかと思う。その場合はやっぱりナチュラルな色のほうが可愛く綺麗に見えるんじゃないかと思う。

トレンドばかり追いかける人は残念ながら心が不細工になっているんじゃないかと思う。だから自分の似合うメイクが分からなくて似合っていないで不細工になっていることも気づかない。心が不細工だと見た目も不細工になるのだ。中国のような心が欠けている国からきたメイクを喜んで選ぶのまずは似合っているかどうか考えるほうがいいだろう。現在、中国嫌いが増えているのに何も考えずにチャイボーグだとどんなトラブルがあるかわからない。差別はいけないのは当然だが中国嫌いが増えると差別に巻き込まれる可能性だって世界ではあるのだ。

なぜ中国人と韓国人にかわいいと思う子があまりいないと個人的に感じるのかか、その一つの理由が工夫が少ないからだと思う。メイクも同じようなもの、目先のことしか考えていない、気持ちをあまり考えていないのだ。僕には同じようなメイクがある韓国と中国の女性は女性像に抑圧されているように感じる自由さえ感じない。中国と韓国の答えが多様性の無いメイクからは差別さえ助長してしまうんじゃないかとも思う。みんなと同じなんていう考えが多様性を拒みトレンドの中国メイクが変だという広い視点さえもてないのはかわいそうな人ということなのだ。恥ずかしいと思ったほうがいい。日本の魅力は韓国や中国の女性にはできない自分にあったメイクを選択できる自由なのだ。学生の頃からメイクに触れられ、韓国、中国がから開放的すぎると思われるミニスカートだろうと髪の色だろうと選択的できる自由なのだ。もちろん厳しい学校はあるだろうけど。チャイボーグのような自由を感じさせないメイクに僕は恐怖を感じる。抑圧よりありのままになれる選択肢をしたほうがいいと思うのは誰でも思うことだと思う。日本よりも抑圧がある社会から来たメイクに自由と解放は僕には感じない。アメリカを例にするともうちょっと分かりやすいかもしれない。自由の国アメリカのメイクは自由ではあるけど抑圧が少ないせいか各個人のメイクには大きなバラつきがあって全体的にクオリティの基準が低い。さらにあちら側のセクシーな女性像のバイアスがかかりリップを強調したり立体的に見せたくてチークで堀を深く見せるようにするよう。この結果アメリカはドラッグクイーンみたいな人もいるしメイクがシンプルすぎてメイクしてもあまり変わらないむしろしないほうがいいんじゃないかと思う人もいる。メイクがマナーでもあるようにマナーにはその国のルールが出ている。このようにメイクにはその国の好みと精神が含まれているので自由な国のメイクは自由だし抑圧の国のメイクは抑圧を感じるのだ。なのでチャイボーグというものを見ると女性解放思想が遅れている抑圧な社会にしたいのか、とさえ思えたりもするから怖い。そもそも日本は抑圧がある社会なのにもっと抑圧になっちゃうんじゃないかと思う。みんなが同じ服を着ているから同じようなものを着ないと選ばないとと抑圧の気持ちは伝染するので男女関係なくそんな気持ちが広がるのは気分がいいものではないと思う。自分が好きな格好をして誰からの目を気にしてビクビクしなくていい社会がいいと思う。メイクは人の性格を変える。それは良い事でもあるけど悪いことにも作用することがあると思う。

僕の考えすぎかもしれないがチャイボーグやオルチャンメイクを好きな男性は整形した顔や整いすぎている顔が好きな人だと思う。そこは人の感情より完璧しか受け入れない冷酷さがあるようで怖いし、人のことを考えないやさしい男性ではないんじゃなかいと思う。女性も心に悩みが多いとか。完璧じゃなくても受け入れることこそ愛だと思う。愛のない男性や愛のない同調圧力のためより自分の気持ちに正直になるほうが幸せをつかめると思える。ちなみ韓国男性のメイクも韓国にある見た目に対する完璧じゃないとという抑圧が男性にも強くあるんだと思う。できればメイクをする自由と解放だけでなくメイクをしないことの自由と解放もあったほうがいいと思う。

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