コロナ後の未来について考える

希望的観測だけどコロナ後はこんな風になったらいいなぁ、なるかなぁという思いで考えたものだ。

実力社会よりも非接触型の自由に生きる社会が来るかもしれない

コロナ後は実力社会になり実力が無いものが淘汰されるという人がたくさんいる。
それもたぶん正しいと思うが、テレワークで現在働いている人の話を聞いていると実力社会の厳しい環境というよりサボっている人がたくさんいる社会になるんじゃないかと思う。みんな自由に生き抜きして結果だけだして働いている。この動きを良しとする会社と逆に監視を強めようとする会社に分かれるんじゃないかと思った。
もしそうなら強く監視する会社はテレワークのブラック企業であり今後新しい批判の対象になるかもしれないし、自由な会社はテレワークのホワイト企業という感じになるんじゃないかと周りを見ていて思う。そして週休3日ですでに働いている人もいるので結果が出れば週休3日でも4日でも良い環境は生まれるんじゃないかと希望的観測を持っている。
テレワークに潜む新しいブラック企業の言う実力社会でなく実力あれば自由にできる社会になればいいなぁと思う。
頭の固い人たちがテレワークでも会社と同じだから例えばスーツ着て変なことせず仕事をすべきだと考えているんだと思うが、テレワークは会社じゃないんだからスーツ着ようが裸だろうが生産性が向上するならやればいい。
そんな文句を言う人は仕事中は音楽聞くなというのだろうか?音楽聴けない労働者が世界にいるのだろうか?不思議だ。作業は音楽を聴きながらしたほうが快適にできる場合もあるのに。それだと実力社会でなく実力を押し殺すテレワークを使った奴隷社会じゃないか。

在宅勤務は服から自由になろう、そして服に無駄にお金をかけないときめくものだけに囲まれた世界で働こう。

節約のために実用的なもの自分に合うことをするようになる

コロナ前では大量消費、誇大広告、自慢といった無理したり自分に合わないことを行う人は多かったと思う。それがコロナ後は収入に不安が出て節約する人が増加する可能性はある。
そうなると実用的なものに目がいき、広告も誇大広告より顧客をしっかり見極めた顧客の好まれる広告の表示が増えていくんじゃないかと思う。
今でもこの機能はあるけど必要ない情報をカットしていく流れになればツイッターの利用者だって減少するかもしれないしもっと濃いコミュニティーを求める人が増加するかもしれない。例えばなくなる予定の日本版マストドンみたいなツイッターよりクローズドのSNS、個人ブログの運営か仲間内だけでアクセスできるようにしたブログとか。不純な意味の無いものに大量に触れた時代とは真逆に動く人は少なからず増加するんじゃないかなーと思う。

どうにかしてお金を使わせたい誇大広告に敏感になる人が増えるかもしれないので様々な消費が減少する可能性がある。留学や旅行は節約か病気のリスクを考えてしない人が増えるか、みんなでいっせいに旅行するのではなく時期を多くの人がずらした旅行の仕方をするかもしれない。留学などの海外への渡航は国内旅行よりも今よりコストがかかるようになるかもしれないので海外旅行などの需要は大きく減少するんじゃないかと思う。節約とリスクを考えての需要が減少した場合でも逆に海外経験の価値は高まるかもしれない。みんながやらないことは希少性があり価値が高まるはずだからだ。

節約、リスクを考えての行動の抑制により危険なことも別の形で増加するかもしれない。ネットでは相変わらず自慢や罵倒をする人がいるだろうから、そういう人たちに怒り炎上させファンを減らし今まで通りのやり方ではうまくいかなくなるんじゃないかと思う。
ゲスいことが当たり前の時代はコロナ後に少なくなっていく可能性がある。それでもゲスいことをしている人や企業は淘汰される可能性があるだろう。なぜならそれだけ節約とリスクを考えて多くの人が抑制しているのに人の気持ちを逆撫しつづけることはコロナ前より厳しい環境になると思うからだ。誇大広告、アフィリエイトはヤラセと言いなおしても完全な間違いではないと思うし嘘に溢れた時代はお金を節約する人が増えることで縮小していくと思いたい。
それは今まで言われていた個人の時代ではない別の形の個人の時代が来る可能性があるのだ。多様性を受け入れ個人として成長しようといいながら無理な競争をして人を蹴り落としてきた嘘ばかりの人でなしの多様性ではなく、個人の好みなんだから批判される必要はなく興味が無いことをいっさい触れなくても文句も批判もされない「個」を大切にする社会だ。
それは自国優先のような狭い価値観でもあるけど自国、アイデンティティを守るのは当たり前、個を大切にするのは当たり前という広い考えでもある。この状態はアメリカが良い例なんじゃないかと思う。アメリカは本当に個が独立していて日本の求めてきた圧迫、同調のある個ではないのである。しかしアメリカのやってきたことで現在の問題にもたくさん繋がってきているのでアメリカのような個に近づきながらも完全にアメリカナイズされることなく和と個をうまく組み合わせれる社会になればいいなぁと思う。

でもコロナ後は数年たてばみんな忘れちゃって平和ボケにまたなっちゃうのかな?って思ったりするけど。

芸術の需要が拡大、思想の変化

これは15世紀のルネッサンスの例から思うことだけどペストが広がった後にルネッサンスが花開き芸術が拡大していく。ペストで大量に人が死ぬことで今まで通りの思考ではいけないと思った人が増えて科学と芸術に目を向けたわけだ。同じようにと今回のコロナの後に自国優先というに思想に多くの人が変わりテクノロジーの発展と自宅待機で出来るアート分野が伸びるのはルネッサンスに似ている。

芸術は危険な時代にいつも人を助けてきているのでコロナ後にも芸術が拡大していく可能性は十分ある。
例えば現代の芸術は分かりやすいのはゲーム、アニメ、映画などもあり一時的に需要が減少しても回復する分野だと思う。映画は自宅で見る人が増えるかもしれないがそれでも需要はなくならないはずだし、絵画やファンアート、デジタルアートも需要は増えるだろう。節約しようとすれば楽しいことは創作活動だったりするので芸術の需要が増す可能性はある。現代のルネッサンスだろうか。
音楽も演劇もエンタメ系は一時的に減少しても家にいる人が多くなるのだから需要は増加していくんじゃないかと思う。ライブ会場にいけなくてもVR使ったライブをするアーティストが出てくるかもしれないし(もういるのかな?)オンラインでライブしても人は集まるだろうしね。
芸術と言えば エ ロ も芸術。エ ロ 漫画でもゲームの分野とか見たことの無いエ ロ 芸術が出てくるかもしれない。例えばコロナでうつになっちゃったり精神病になってる芸術家がその気持ちを反映したグロすぎる え ろ 作品を作ったりする人が出てくるかもしれないし、グロくなくても闇を抱えた作品で現代を表わしているようなものを女性か男性かまたはどちらともわからない性を使ったもので表現したり、まぁ勝手な想像だけど。ただ実際に芸術家には苦しい時代には恐怖やグロい強烈な意味を込めた芸術が生まれたりしているから同じことは起こりえるんじゃないかと思う。例えば暴力が溢れる時代に活躍した20世紀最大の画家と言われるフランシスコ・ベーコンは恐怖やグロい作品が有名。
もう映画には新しい流れが生まれているのは知っている人はいると思うけどハリウッド離れ昔ながらの恐怖を取り入れだしたりしているので、映画だけでなく芸術全般は何かすごいことがコロナのおかげで起こるんじゃないかと勝手に期待している。

あと思想も伝統への回帰に流れつつあるのはもう世界を見ていれば分かってくるように宗教、伝統に興味を持ち出す人が増え、そこからアートに興味を持つ人も増加するかもしれない。宗教も伝統もアートに関係しているし、宗教や伝統という性質から露骨な悪い商売につなげたい人は今ほど出てこないじゃなかと思う。やったもん勝ち、だまされたほうがいけないと開き直って稼ごうとする考えはモラルもマナーもなく愛に関連する宗教や伝統と相反するからだ。

芸術と言えば化粧やファッションも芸術だけど外出が減るとメイクも服の需要は激減するはずなのでファッション業界はこれから厳しくなるんじゃないかと思う。でもコスプレとか映画など何か芸術に関連したものなら需要は増えていくかもしれない。
メイクも服もあまり着にしなくてよくなるなら楽な社会になるのかなー?って思ったりもする。

警戒しなければいけないことはデジタル世界の発展

多くの記事がオンラインに移行しデジタル世界は今より進んで行くという。ロボットに依存し遠隔医療が出来るようになりビッグデータにより犯罪を監視できる安全な社会になると。
そうなる可能性は十分にあるだろう。普通そんなことを聞けばすごく良いことに聞えるはずだ。でもこれはけっして良いことだけではない。まずロボット依存にすることは人の労働の需要を明らかに減少させるしなんでも他に依存するということは危険がある。食糧問題だってコロナによって海外依存はあぶないと思い出す人が増えるように中国依存も危険と思い出した人が増えるように依存することはまた危険が起こると思うのだ。そのためなんでもデジタルにするべきではないんじゃないかな?と思う。
選挙の投票もすべて電子投票にするより郵送などのアナログも忘れないように考慮しないとデジタルはハッキングされたら大変なことになる。
またビックデーターにより犯罪を監視する社会は逆に一般の人も監視されることを意味するはずだから中国のような監視社会になる危険があると思ってしまう。
特にデジタルの発展をプッシュしている記事はどこか今までの左派系のメディアな雰囲気があり中国を嫌っていないんじゃないかと疑ってしまう。
デジタル時代におけるセキュリティを高めるにはデジタルに依存しないシステムがあることだと思うのでこれからオンライン関連の需要が増加すればするほどアナログを忘れない生き方をしないと後で大変なことになるかもしれない。

これからのテクノロジーの発達にワクワクしながらも不安も同時にあり素直に周りが喜んでいるようにはなれない。
テクノロジーの発達により産業革命のようなことが起きると失業者は増幅し貧富の格差は拡大するかもしれない。格差を少なくしようと世界はしているのに格差を拡大させるのがテクノロジーへの依存であり産業革命を喜んで受け入れようとする社会だ。

仮に中国がいろんなことを予想していたとしたらコロナ後のデジタルの発展も予想しデジタル環境を中国が制覇することで中国が世界をコントロールするようになるかもしれない。どこまで考えているかわからない中国だけど中国は世界中がコロナになって中国の好感度アップのチャンスだと思っているだろうからコロナが早く終わるのは嬉しくないだろう。そのためコロナが終わっても第2、第3のウイルスが中国から来るかもしれないと思うと怖い。
なんでもデジタルは気をつけたい。

コロナ後で日本は社会は変わる

コロナ後でも日本は変わらないと思えるのは過去の震災、災害があっても日本は変わらずやってきたことがある。しかし僕は変わると思っている。なぜなら日本は変わらないといい続けながらも東日本大震災後に少なからず変化があったと僕は思う。政治に興味を持つようになる人が増え自分の生活、将来を見つめなおす人は意外と多かったんじゃないかと思う。
僕の周りにもそのような人はいるし僕も考えた一人である。
社会は徐々に変わろうとしていたけど、まだなかなか変わらないと思う気もしていたの理由の一番は政治が変わらないからである。しかし現在の安部政権に支持する人は減っているようだし、僕の周りにいた安部大好きな人さえも批判しているのである。
この状態は今まで無いためおそらく日本は何か大きく変わるんじゃないかと思う。
他の理由は海外旅行をする人が減るため旅行会社もホテル業界などインバウンドに関わっていたものはすべてビジネスを変更することになるとビジネスでも自国優先の展開をしていくかもしれない。多くの国内の企業が内需に目を向けだすと中国寄りだった企業や政治家は中国から離れないといけなくなってくる人も出てくるだろう。
少なくとも今までの貧富の格差を拡大するだけの新自由主義は終わりだというのが世界の流れなのでこれが終わり新しいものが出てくるだけでも大きな変化だと思う。今までどんな大きな事件が起きても変わらなかったのは新自由主義によって言ってしまえば死んだって貧困になっても自分の勝手、助けることはほとんどしない、臭いものに蓋というものだった。自己責任論をおかしいと思う人が増えてきてはいるがそれでもまだ日本は自己責任論が根強くあると思う。この思考が変われば大転換になるだろう。
しかもコロナで大量に人が日本で死ななくても経済のダメージはものすごいはずだ。これは変わらないといけない、と思う人はたくさんいると思う。これでも日本が変わらないなんて思えない。今まで無いほど自殺者や失業者は増加するといわれているので変わらないのは無責任な社会だ。
東日本大震災のときより結婚する人も増えるかもしれないし実家のそばや実家で暮らすことを選択する人が増えるかもしれない。3密を避けて東京などを回避しだすと今まで通りにはいかないと思うのは無理のない考えだと思う。

政権が変わり中国との付き合いが減少しアメリカが中国にぶち切れることで、今までの常識は間違いなく変わると思いたい。アメリカまかせなところがあるけど日本は利権にしがみついて変わりたくない人がたくさんいると思うのでアメリカまかせな部分はある。

思想が変わりビジネスが変わり人が変わり社会は変わるのだ。

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