アメリカは半ケツカルチャー?

半ケツとはケツが半分見えていることである。

実はアメリカに来て半ケツに遭遇することが多い。

部屋にネットをつなぐ工事をしに来た人が巨大な人でケツがずっと半分でていた。

「まぁ体もでかいし服が体のサイズにあってないのだろう。そんな人もたまにはいるだろう」

と思っていた。

そして今度は電気会社の人が来た。彼は床にかがんで文字を書いていたのだけどやっぱり半ケツだった。
床で書かなくていいのに床で書いていたせいでもうケツが全部でているぐらいになっていた。アメリカでの洗礼はケツを見せられたことだ。なんでパンツまで脱げるんだろう?
今よりもものすごく下手な僕の英語をじっくり聞いて理解してくれる忍耐づよい白人おじさんだった。やさしい人だと思った。でもほぼモロだしのケツだった。

あるとき、学校のクラスメイトでいつも僕の前の席に座っていた何人か小デブな学生がいたが、後ろからよく見ると椅子の間からなにやら白っぽいものがみえる。
小デブ達がそれぞれ半ケツだったのだ。
いつか半ケツに気づくだろう、誰かが教えてあげるんだろうと思っていたが、一緒にグループで宿題をするときもずっと半ケツだったし他のクラスメイトも何も言わないなかった。これはもしかしてたまたま半ケツの人がいるのではなく半ケツが意外と多いのでは?と思えてきた。半ケツはだらしないことだと僕は思っているので宿題も適当なのかな?と思っていたらやっぱり適当に宿題をしてきたのだ。半ケツは緩い性格の表れなのだろうか。

別の日のこと、給湯器が壊れて直したにきた体の大きい人が床に横になって給湯器を直していた。よく見るとやっぱり半ケツだった。結局、彼は給湯器をきちんと直せず別の人がやってきて直すことになった。

なんども半ケツを見せられるとアメリカのプロフェッショナルな人はケツを出すのがデフォルトなのかと冗談半分思ったが、もしかしたら男なんだから半ケツなんか気にするなと強いアメリカ思考の男性は思っているかもしれない。もし気にしているなら半ケツなんてならないはずだらかである。

そして驚いたことにアメリカに長くいる太った日本人も半ケツ率が高い気がするのだ。日本だと半ケツになると問題だけどアメリカでは普通すぎるのである。

綺麗な女性が半ケツならまだおしゃれかと思えるけど年とったおじさんが半ケツなのはもうどうしていいかわからない。いや、日本のように半ケツに厳しいことがおかしいし生き辛い社会にしているんじゃないか?とさえ思わされる。例えば、競技用ブーメランパンツを履いた男性プール監視員が半ケツだったら文句が出てくるのが日本である。しっかりしてほしいのも分かるがブーメランパンツは小さいんだからハプニングで半ケツにもなることはあるだろう。厳しいのが日本で緩いのがアメリカというのが見えてくる。肌を見せないことがデフォルトの世界では少し肌が出ただけでいやらしい扱いになるように肌を見せるのが当たり前のアメリカでは半ケツなんてたいしたことないのである。

もうこれは半ケツは文化と言ってもおかしくない。
例えばバーガーを好きな人が多いアメリカではバーガーは文化と言っていい。半ケツも同じだ。半ケツなのになんとも思わない。美的感覚が違うように日本よりも露出した女性が多いように上半身裸で走っている男性がたくさんいるように半ケツおっさんがいても気にならない土台があるんだと思う。ケツ見せをおかしいと思う日本とケツが出てもおかしくないと思うアメリカでは文化の差がある。
それはチラリズムとそうでない国の違い。大和なでしこでおしとやかでチラリズムを好きな人が多い日本と反対に痴漢がいないむしろ露骨にレイプが多いアメリカではチラリズムよりも露骨なファッションが多い。露出も強さの表れなのだ。半ケツなんて中途半端なものには肌見せなんて思ってないのかもしれない。(もちろん人にもよるけど)

「・・・・そうだこれは半ケツカルチャーなんだ!」
「危ないアメリカだからこそ男性のように強くならないといけない思考が女性の肌見せを促し肌の露出なんてたいしたことがない、男性の半ケツもたいしたことがないという土台があるんじゃないか。」

と納得するしかない。

「いや、ただ太って半ケツに気づかなくてだらしないだけでは?」

というのもわかる。
しかしあまりにも普通なのでこれはアメリカの文化なのかもしれないと思わされる。

実は、英語で半ケツというとhalf ass(ハーフ アス)でありこの意味は「中途半端な」「無能な」などの意味があるのだ。
日本にはない言葉の使い方であるのと言葉は文化を背負っているため半ケツは英語圏での文化だと言える。
昔から半ケツの人が多いことが想像できるし半ケツを気にしない人が多いとはいえ、馬鹿にした意味も含まれているわけだからやっぱり半ケツは自信を持っていいことでもないし恥ずかしいことだとわかる。

そしてアメリカは太っている人が多い国である。英語圏の中ではもしかしたら一番多いかもしれない。

ある意味は半ケツはアメリカの風物詩みたいなものだ。
蛍がお尻を綺麗に光らせて夏を感じ嬉しくなり短い命と短い夏に切なくなるように、アメリカに来て半ケツを見つけたら「あーアメリカに着たんだな、雑だなぁ」と自由な国アメリカを感じられ、出したくなくても仕方がなくケツが出ている人がたくさんいるどうしようもない状況に切なさも込み上げてくる。半ケツからこれがアメリカの自由なんだとしみじみ思うのだ。

半ケツを見慣れてしまうことはホームレスが多いのも関係しているかもしれない。ホームレスは半ケツで道路に横になっていたり半ケツで歩いていたり、ホームレスなのにスーパーに入ってきて半ケツでサンプル商品の電子デバイスを使って遊んでいたりと半ケツが周りを見るとたくさんいる。

まとめ

半ケツは英語圏の文化と言っていい。半ケツが文化というのは僕の英語圏のイメージが大きく変わるほどの衝撃だった。

アメリカ生活が長くなるとちょっとした露出では気にしなくなるかもしれないけど、やっぱり半ケツにはなりたくないと心に誓い、最近太ってきたので痩せようと強く思ったのだった。なんだかんだ言っても男性の半ケツはかっこよくないしだらしなく見えるしホームレスとも被るのも嫌だ。どんなに半ケツに緩い社会があっても半ケツは見せたくないとプライドを持ちたい。捻じ曲がった強さへのプライドをアメリカは持ってるのに半ケツを見せないみっともない格好はしたくないというプライドが薄いのはプライドよりも個人の自由を優先しているからだろうか。僕は自由も大切だがプライドも大切だと思う。

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